あけましておめでとうございます ~いままでの自分を振り返ってみる~

あけましておめでとうございます ~いままでの自分を振り返ってみる~

なんか、いつも通り、PCをやってて年を越してしまって、あまり正月という実感がわかない…orz
そんなことも含めて、今までの自分を振り返ってみる。
自分で言うのもなんだけど、私はこの数年間でとても成長したと思う。なぜかというと、実は、つい2年前まで、自分がすべて正しいと思っていた人間だったから。
私は生まれた時からひねくれた性格だったようだ。記憶はないが、親の話によると、道の途中でベビーカーからくつを脱いで投げ捨てたりしそうだ。
小学生の時に、欲しいものがあるのにあえていらないといった覚えはたくさんある。
友達にかまってもらいたいのにあえて一人になったこともあった。それに関しては、自分の考えを相手に理解してもらえなくてそうしたことを覚えているが、今ちゃんと考えてみると、あんな自分勝手な行動で相手に伝わるわけがないと理解している。結局は、自分から独りぼっちになっていった。
小学生のころはひたすらアニメを見たり、映画見たり、マンガを読んだり、立体図形の絵をかいたりしまくった。その時からアニメや映画など、現実ではありえない世界が大好きだった。それでも、空想の世界に完全に入り込むことで、「現実でそうだったらいいのになぁ」と思うことはめったになかった。
工作や科学実験の本をたくさん買い集めて作りまくり、実験しまくったりもした。小学生レベルじゃつまらなくなって、大人の科学や中学生の科学実験も普通にやっていた。その時から「作ること」や「科学」が大好きだった。
中学受験に向けて塾に入れさせられ、算数の先生がとても面白い先生だった。立体図形が好きだったこともあり、算数が大好きになった。しかし、ひねくれた性格のせいで、ほかの強化は一切勉強しなかった。いや、「絶対に勉強しないぞ!」という態度だった。
そんな自分だったが、結局ほとんど勉強することなく中学に受かってしまった。算数のおかげで。(その算数すらまともに勉強したためしがなかったのだが…)
しかし性格は依然としてひどく、友達はできなかった。
まず第一に転機が訪れたのは中学生の時だ。それはパソコン。中学に入学して、親に自分だけのPCを買ってもらった。それを使って、最初はフォルダの新規作成や、メモ帳の文字列の切り取りコピー (しかも右クリックから) をするだけで楽しんでいた。あとは、Windows に標準でついているゲームで時間をつぶす程度だった。
が、夏休みの自由研究の発表で、クラスの人がプログラミングのことを取り上げた。HSPだった。
先に書いたように自分は「作ること」が好きだったから、すぐに食いついた。Yahoo! 知恵袋を利用して質問しまくった。勉強嫌いは以前どおりだったので、好きなようにやって、徐々に覚えていった。
ある程度慣れてくると、Yahoo! 知恵袋で逆に回答する側に回り、プログラムを作りまくった。それも上達への道しるべだったと思う。
さらに自分で好きなプログラムを作るようになると、それをネット上で公開したくなった。
当時の自分は、パソコンはやっていても、ネットをまったく知らなかった。YouTubeやニコ動はもちろんのこと、YahooやGoogleでさえ、そのサービスのごく一部しか知らなかった。そんな自分がネット上に出て行った。
問題が出始めたのはそれぐらいからだ。掲示板などでけんかが起こった。今でもはっきり印象に残っている。
掲示板に書き込まれた内容をスルーするなと。その時まで一人ぼっちだった私は、他人の言うことを無視するクセがついていた。それに、自分がYahoo! 知恵袋をしていた時、知恵袋はベストアンサーを1人選んでお礼を書くシステムだったから、一番いいものだけを取り上げるようになっていた。それで荒れた。
ひねくれていた自分でもさすがに悲しくなって、思い切って聞いてみた。自分の何がいけないのかと。
そうしたら、いままで叩いてきた人々も、丁寧に指導してくれた。
頭がくるっている人は、自分がくるっていることにはなかなか気づけない。しかし、それによって、ようやく自分がおかしいということに気が付き始めた。しかし、それでも、まだまだ普通の人間からはかけ離れていた。
それまで、自分以外の人間がすべて敵だと思っていた。小学生の時はよくいろんな人にからかわれたのと、親に、「世の中には人をだまそうとする悪い人間がたくさんいる」という話を小さい時から何十回も聞かされていたことが原因だと思う。確かに、だれの言うことでも信じて騙さされて金をとられるような人間になっても困るが、小学生ぐらいの時にそれを聞かされちゃあ、単純に「多くの人=悪い人」と結びつけてしまうだろう。小さい子供にあんな話をするもんじゃないと思った。
しかし、自分がひねくれた性格であること、自分勝手であることなどに気が付き、直すように努力をはじめ、細かく修正していった。それでも、コミニケーション能力の低さなどから、なかなか進歩しなかった。
ところが、数年前にようやく人との付き合い方がわかってきて、友達がある程度できた。
今でもまだまだ普通の人になりきれてないところもあるだろうが、今後も頑張っていきたい。
話が戻るが、小学生の時から独りぼっちだった私は、人間が大嫌いで、人間は存在してはいけない存在なのだと考えた。今でも少しはそう考えている。中学生になってYahoo! 知恵袋で人の質問に答えるようになってから、人のために働くことによって自分の存在が許されるのだと考えた。それで一生懸命回答した。
このブログを始めたのも、自分でプログラムを作り、公表することで、人を助けたいと思ったからだ。
今でもそう思っている。当時の能力じゃほとんど無理だったが、そうしようと頑張ってたくさん記事を投稿することで、今では、そのうちのいくつかは本当に役に立てていると思う。(2014/01/01現在、「Windows 8 MIDI」や「HSP URL 分解」で検索すると、このブログの記事が出てくる。他にもそういうものがいくつかある。)
だが、いまだに細かいことばっかりで、大きなことをやっていなかった。そこで、OSを作ろうと思った。それで現在に至っている。
いい年になって、空想が未だに大好きだ。それどころかパワーアップしている。
夢の中で冒険すして楽しむのは当たり前、起きてる時でさえ、自分が歩いている道を線路だと思って、電車でDみたいに想像して楽しんだり、何もできないときは曲を脳内再生して時間つぶしたり。
ここで、いつも理解できないのが、空想の世界に入りきれない人、立体図形が思い浮かべられない人、曲を脳内再生できない人、だ。
幼稚園の時に映画「トロン」を見てはまったし、立体図形、なかでも、木の板を組み合わせて作られた宝箱にところどころ穴が開いていて、角は金属で補強され、ふたが半開きになっていてチョウツガイでつながっており、中にはコインがたくさんと、ネックレスや剣がちょっとだけ、のような絵を当然のように書いていたから、(しかも図形として美しいと考えていたから、) ああいうのが書けなかったり、想像できないのがわからない。
また、脳内再生はできる人はできるが、できない人も結構いるらしい。
小学生の時、運動会で白組の歌を歌いながら脳内で紅組の歌を歌うことで、同時に聞くことができた。それをさらに拡張し、完全に聞こえるようにした。これによって、時々、実際に曲を聴いているわけではないのに、夢の中で曲を聴くということが当然のようにできるようになった。
最後は空想の世界に入り込むこと。アニメを見れば、まるで自分が主人公のような気持になり、追い詰められればあせり、勝ったらスカッとする。何も見てないときでも、自分のオリジナルの世界を思い浮かべ、楽しんだりする。
自分はこれによって、いつでも退屈せずにいられるのだが、わざわざつまらないことを面白いかのようにふるまう人がいる。意味もなく下ネタを振ってくる人がいる。そりゃあある程度なら許されるが、毎日そういう風に過ごしている人がいる。なんて無駄で、しかもつまらないんだろう。
自分は、人を助けようとすることで自分の存在を一層強いものにしようとし、かつ、空想に入り込むことで常に高濃度な楽しみを得る。しかし、空想ができない人はかわいそうだと思う。
いつまでも空想の世界にいるのは子供っぽいといわれるかもしれない。そうかもしれない。しかしそれなら、あえて子供っぽいことを選ぶ。
大長編ドラえもんの宇宙小戦争の「少年期」という曲を聴いてから、この気持ちは強くなった。

ああ僕はどうして大人になる んだろう
ああ僕はいつごろ大人になるんだろう

この歌詞を聞いて、自分は子供のままでいようと思った。もちろん、特定の部分だけ。
こうやって自分は形成されてきた。ある部分では子供っぽく、ある部分はだれよりも進んだことをやり、他はできるだけ普通の人に…。
よほどのことがない限り、このおおまかな考えは死ぬまで変わらないだろう。
小学生の時などは、人間がどのように生きるべきかをよく考えていた。
これが、今現在の自分が出している答えだ。


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