(人間の) 完全とはなんなのか (理系と文系)

(人間の) 完全とはなんなのか (理系と文系)

1 欠けたところや足りないところがまったくないこと。必要な条件がすべてそろっていること。また、そのさま。「―を期す」「―な形で保存する」「―に失敗だ」

2 欠点などのないようにすること。

とか辞書に書いてありますが、理系かつ日本語力が低い私には、これをそのまま受け入れるわけには

いかないのですよ。
私は、完全なものを求める傾向があります。しかし、それはすべてではありません。
面倒くさいから手抜きにしちゃえーっていうこともあります。
では、私の求める完全とはなんなのか、そして、人間の求める完全とはなんなのか、
それをちょっと考えてみました。
実は、今回話したいのは「完全」についてではなくて、理系と文系について書こうと思ってます。
「人間はどう生きるべきか」というのが、まだ全然わかってないので。
そういう系の本結構売ってますけど、ほんとに文系向きな内容多いですよねぇ。
それとも私が馬鹿なのかそれはわかりませんが、とにかく、「私はこういうことが聞きたいんじゃない!」
ってことばっかり載ってます。なので、自分で納得のいくまで考えることにします。
さて、本題に入りましょう。
理系と文系、よく意見が分かれたりするこの二つは、いったい何が違うのか。
それぞれが求める姿 (「完全」の一つ?) とはなんなのか。
私の知り合いの多くは文系な気がします。そして、私はその人たちの考えていることがわからない
場合が多い。
けれど、文系の人でも「この人はこう考えてるんだな」と、なんとなくわかる人もいれば、
「この人はいったい何を考えてるんだろう」と思う人もいます。そりゃあ人間だから完全に2つには
わかれないっしょ、って言われるかもしれませんが、まったくその通りなのですが、では、その人たちと
私の間には何が邪魔しているのでしょう。
私は、あらかじめ考えることが多い。その場になって変更するのは嫌だから。
それがどうしてもだめなら、頑張る。
文系の人って、その場ですぐ対処できる人が多いですよね。うらやましいです。でも、
その分じっくり考えてる人って、私の身近にはあまりいません。そりゃあ全否定はしませんけど、
人前ではしてないだけかもしれませんけど、なんか、考える物事と考えない物事の分け方が違う気がします。
ということで、理系と文系の違いは。考え方の違いではなく考える物事の分け方の違いにあるのではないかと思ったんです。
まあ、何でもかんでも2つに分けるというのは無理な話ですが、
だからうやむやにする、っていうのは、私には気持ち悪いんで、とりあえずこうしました。
この世のものごとは色々な要素で分けることで考えられる、ってことだけわかれば十分です。
「人間はどのように物事を考えるか」というのも、考えたら面白いかもしれませんが、先ほども話したように
まずは考えるものと考えない者の分け方の違いが形作っていると思うので、考え方については今回は
スルーしていきます。すいません。
でもって、ただ「覚える」のと「考える」のは明らかに別物ですが、さらに、「無意識」というのがあります。
本当に何も考えないし覚えない、というのは、今回は無視します。
ここで言っているのは、「当たり前だと思っていること」を考えることです。ここで言った「考える」とは、
勝手に心から出てくるイメージ、「思う」ことです。先ほどまで話していた「考える」とは、
物事を判断すること」です。日本語って難しいですよね、ひとつの言葉に複数の意味がある。
数学の証明などであれば、「~~を~~であると仮定する。~~には~~を用いよ」とちゃんと
定義されているので、ごっちゃになることは少ないのですが…。
話を戻します。人は、考えてから入れる情報と、ただのデータとして記憶する情報があるとします。しかし、
考えなくても当たり前と思っていることがあります。これは、「ただのデータとして記憶する情報」の中の
特殊なものだと思っています。なぜなら、無意識に、物事を考えるか考えないかを判別しているからです。
「このことは、考える方がいいのかなぁ?考えなくていいかな?」なんて人いないでしょ?
だって、そういってる時点でそのことについて考えちゃってるもの。
(今回の「考える」は物事を判別すること「全般」なので。)
というわけで、無意識を先ほどの図に追加するとこんなのになります。
長ったらしく書いてきましたが、やっと結論を書くとすれば、理系と文系の違いはこの無意識の中にある
んじゃないかと思うんです。そして、無意識に判別されたデータの一部が、また無意識に加わっていく…
そうやって人間はできていくんだと思います。
そして、出来上がるものの傾向として、理系/文系と勝手に人間が定義した。そういうことなんだと思います。
これからも人間について考えていこうと思います。(ブログに書くかはわからないけど)
ではまた、いつかお会いしましょう。
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「(人間の) 完全とはなんなのか (理系と文系)」への2件のフィードバック

  1. なるほど……考えるかどうかの判断も無意識に仕分けているというのは斬新な考え方ですね。
    確かに何でもかんでも考えながら会得していくとすると疲れちゃいますもんね^^
    文系と理系の違いについては私は正直何も分かりません。
    物事の考え方は本当に人それぞれです。おおむねその人の経験や環境で決まります。
    それは仕方がないことで、考え方の正解がないから色々な考えになるのでしょう。
    そのおかげで、無意識に分別される要素も人によって異なるのでしょうかね。

    人間は不完全だからこそ人間でいられるのだと私は思います。
    もちろん自分の理想像はありますが、それが完全になってしまったらかえって怖いです。

  2. もちろん、人間が完全 (または同じ) であるべきかどうかというのは別の話になりますね。
    フェルミウム湾さんの言っていることは正しいです。

    ただ、文系の人と話してるとたいてい意見が食い違うので、どうしてもその違いを考えたくなったんです…。

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